リレー寄稿第1回 第2回へ
2009年12月06日
「私のボランティア奮闘記」

貝戸 弘です。

私は電電公社〜NTTと約40年間勤めさせていただきました。
仕事の内容は30年交換機の保守、点検、10年間は営業販売という内容でした。交換機の保守はステップバイステップの時代からデジタル交換機までまさに情報通信の歴史を体験し、また営業販売ではインターネットとスモールオフィスの先駆け販売をしました。

定年退職を目前に控え、これまでとは違った人生を送りたいと思いJICAに応募しました。甲府市広報に載っていたJICAのSV募集でした。チュニジアの首都チュニスでマルチメデア特別専門学校(日本の高等専門学校)の補助教官ということで赴任しました。

学校はできたばかりで、私は仮の校舎で生徒たちと一緒に勉強しました。私のとって幸運だったのは2人の先輩がいたということです。困難にぶつかったときも3人で考えました。そして自分の力のないことを、さらに自覚しました。

当時チュニジアに一応ネットカフェはありましたが、わずかな数でした。プロバイダーもひとつで独占していました。メールアドレスをもらって運用するのに一週間近くかかりました。

チュニジアという国はほとんどすべてがフランスの影響を受けています【フランスから独立した国ですので当たり前でしょうが】言語も仏語でしたから、私はほとんど理解できません。先輩の2人はアフリカの仏語圏内の国に数回派遣された人たちでした。最初は2人が仏語を理解でき、自分が理解できない。ストレスがたまり落ち込む日の連続でした。

どうしても日常会話の仏語が理解できません。先輩たちに校長より要望があるときも3人で聞くのですが、わからないのは自分だけでした。先輩たちに私はいろいろ教えていただき、やっと校長の意図が理解する毎日でした。

私は先輩2人と違った経験がある。今まで経験したNTTの仕事をひとつづつ校長の意図するものに、結びつけゆっくりで進むより仕方がないと思うことにしました。

学校は仮の校舎です。パソコンは全部で75台ありますがLANを組んでいません。まずLANを組むことからはじめました。NTTの経験があるので簡単に組めると思っていましたが、なかなか思ったようには進行しません。ケーブル、コネクタ、HUBなどで必ずエラーがでるのです。チュニスの情報機器が売っているところに何回も行き、いろいろな国の品物を買って実験しました。

安くていいものをさがす。日本では考えられないハードの選択からはじめました。次から次に出てくる問題と格闘しながら過ごす日々でした。私のとって学校の教官で講義をするなど絵に描いたもちのようでした。

授業を参観しながら問題点を取りあげ、少しでもLANのネットワークを利用する。学生がネットワークに関心に持つことを目的にしました。

この学校では当時映像のソフトに力を入れていました。要するにソフトの使い方を教えていたのです。特定のソフトだけをよく知っている先生が、学んでいる科目ごとに配置されていました。ですからネットワークなどあまり関心がなかったと思います。

進学試験と中間試験がありますが生徒数約1000人に学年毎の問題を前日にパソコンに一斉に入れます。全部で75台ですから各個人にパスワードをあたえてパスワードで問題を開きます。回答は各自が持っているCDに保存し、それを先生に提出します。すべてがオフラインでした。

授業の現状把握ができると、改善の方向が決まりました。3人で協力してネットワーク構築にとりかかりました。

WWW. FILE .DNS,を立ち上げ、学生個々人に機能をあたえました。オンライン操作でCDも持ち歩かずサーヴァーで管理します。先生方も試験結果の管理などの役に立ち、大変楽になったとおもいます。

当初はwindows2000saverでしたが、校長よりlinaxを使いたいと要望がありWWW,DNS,FILE すべてをLINAXにしました。LINAXは毎週のようにbagが出ます。その維持もたいへんでした。またLANケーブルがオーバートラフィックになりますのでそのことも解決しなければなりませんでした。

二年目の2月ごろになると落ち着いてきました。そこではじめて教室で生徒に講義をしようとおもい "なにを講義するか" 一回1時間の講義を7回持つことにしました。

日本の情報通信の現状から始まりISDN〜INTERNET〜VPN〜暗号端末など資料を作り、校内WWWに載せて教室で生徒に講義しました。資料はすべてwwwからとりました。しかしながら最後までできなかったことを残念に思っています。すべて英語でした。

最後に私達3人は構築したシステムをCDに保存し、今この国が一番情報通信で必要なものは何か考えました。そして私たちが行き着いたところは、国中どこからでもイーラーニングができたらこの国はもっともっと若い人たちの力が伸びるだろう。

まずネットワークのインフラです。それから銀行間のオンライン決済もできるようにしたい。具体的に2つのことを次に来るSVに引き継ごうと思っていました。

銀行間の決済はたぶんGO−が出ないことも承知しています。いろいろ問題が多いからです。最近ではシステム一式で提供するでしょう。それもひとつの提案です。

情報通信は日進月歩です。当時(2004)の考え方はこんなものでした。私が2年間お世話になって一番感じたことは貧富の差が少ない国ほど先進国だということです。残念ながらチュニジアは該当していませんでした。

帰国後、チュニジア大使館より定期的に食事会に招待させてもらっています。どうしたらこの国が豊かになるのか、そのことを提案したこともあります。でもまだ返事をもらっていません。リソーウスのないところは日本とよくにています。

最後に地中海について感じたことを話させてもらいます。塩の香りがあまりありません。岸辺を歩いてもなかなか貝は見つけることができません。日本の海の豊かさを再確認しました。オリーブと太陽と砂漠と岩塩が何か大きな未来を予感させてくれる。今もその考えは変わっていません。