第5回リレー寄稿第6回→第7回
2010年08月21日
「青年海外協力隊員からフェアトレードショップの店主となって」

JJOCVスリランカOV
今井奈保子

NTTOBSV会会報15号のリレー寄稿を書かれた山下さんから貴会を紹介していただき、今回新会員として寄稿させていただきます。山下さんとはNTTのスリランカテレコムプロジェクトでごいっしょさせていただきました。山下さんがJTECに在籍中は、出張でいらしたサモアで再会を果たすことができました。その時、私は調整員としてJICAサモア事務所で仕事をさせていただいていました。

2000年10月にNTTコミュニケーションズを退職後も海外で仕事をさせていただく機会を得、通算15年ほど海外を拠点にしておりましたが、今年2月、地元静岡に戻り、この7月より静岡市内でフェアトレードショップを営んでおります。協力隊や業務などで海外に滞在して得た経験から、ライフワークとして世界各地の方々と相互交流していきたいと思い、そのためにフェアトレードを選択しました。本寄稿では、フェアトレードを選択したきっかけや経緯などを書かせていただきます。

入社5年目に
北海道出張中、札幌から小樽への移動電車の中で目に留まった協力隊募集のポスター。なんとなく気になり、特に強い動機もないまま、技術のない私でも何かできることがないものかと模索を始めたのはNTTに入社して5年目でした。なぜ協力隊に行ってみたいと思ったのかは、未だにはっきりとはわかりませんが、その時、なぜか「あっ、これだ!」と思ったのです。社内報で事務系の社員でもボランティア休暇を取得して青年海外協力隊に参加できると知り、まだ協力隊の受験もしていないのに、「協力隊に参加したいのですが・・・」と当時の上司に唐突に切り出しました。当時は、電話事業サポート本部に所属しており、1ヶ月の約半分は支社や支店などへの出張、オフィスでの仕事は深夜に及ぶこともある非常に繁忙している部署であったにも関わらず、上司、先輩、同僚みんなが快く送り出してくれました。

順調だったのに・・・
1993年12月、平成5年度2次隊で村落開発普及員としてスリランカに派遣されました。スリランカの村での生活は、東京でのOL生活とは正反対でしたが、とても快適で充実したものでした。職種がら、活動を自分で組み立てることができたおかげで、勝手に"Small Income Project"を立ち上げ、村の青年たちと建電工事を請け負ったり、家庭婦人や未就業の若い女性たちを対象にパッチワーク教室を開いたり、パッチワーク作品を商品化し販売したり・・・とさまざまな活動を村人たちといっしょになって行いました。特にパッチワークの商品化はとても成果が上がり、村の女性たちは、家の床を土からコンクリートにしたり、窓にガラスを入れたりなど自ら稼いだお金を有効に活用していました。2週間に一度、商品を卸しに村からスリランカ最大都市のコロンボまで行商に通っていました。ところが、半年ほど経ったある日、それまで私たちの商品を買い入れてくれていた商店の店主からたった一言「もういらないよ」と言われ、状況は一転してしまいました。私たちの商品がその店主により複製され、工場で大量生産されるようになっていたのです。村人たちはとても落胆しましたが、工場では生産できないような商品を作り出そうと再び商品作り、マーケティングを行い、スリランカを離れる当日まで村人たちといっしょに活動をしました。

継続されていた!
1996年1月にNTTに復職し、広報関係の業務に就かせていただいている間も、講演会などで協力隊の経験を日本の皆さんに伝える機会を得、私の中では協力隊の活動が継続しているようでした。そんな中、NTTのスリランカテレコムプロジェクトに参加させていただくことになり、協力隊の活動を終えてから、わずか1年少しで再びスリランカに赴くことになりました。ボランティアのときとは全く異なった環境、立場で仕事をすることになりましたが、協力隊で得た経験を活かし、自身の業務を遂行できました。オフの時に、活動していた村を訪ね、村人たちと再会を果たすことができました。当時、村にはまだ電話がなく、事前の連絡なしに訪れた私に村人たちは驚きつつも、大歓迎をしてくれましたが、それ以上に私を驚かせてくれたのが、パッチワーク商品の行商を村の女性たちが継続していたということです。中には、パッチワークの教室を自宅で開催している人もいました。私が2年間の活動を最後までやり遂げることができたのは、村人たちのサポートのおかげだったのですが、婦人たちは「ミス(私のことです)が教えてくれたことで私たちの生活が変わった。自分たちだけで継続することがミスへの恩返しだから」と言ってくれました。でも、彼女たちは、自分たちだけで売りに行くと買い叩かれてしまうため、利益を上げることが難しくなっていることを話してくれました。しかし、その時の私には、その深刻な問題をどうすることもできず、彼女たちの商品を小額の寄付と共に購入することしかできませんでした。

社会起業家を目指して
スリランカテレコムプロジェクトでは約2年半現地で仕事をさせていただきました。2000年の3月に日本に戻り、NTTコミュニケーションズで仕事をさせていただいておりましたが、同年の10月に退社しました。その後、民間企業やJICAの業務でスリランカ、ミャンマー、サモアなどを転々としましたが、協力隊での経験が自分の中でずっとくすぶっていたのか、改めて、国際貢献、海外事業などについて勉強をしたいと思い、2008年にシドニー大学の大学院に留学をしました。さまざまなカリキュラムがあったのですが、その中で私の目に留まったのが"Social Entrepreneurship"でした。まさに、ずっと探していたものがやっと見つかったときのような衝撃がありました。オーストラリアの社会起業家の方の講和や、社会的企業に関する文献などから、フェアトレードの詳細を知る機会を得、その中で、これこそ私が今後ライフワークとして関わっていくべきものという強いインスピレーションのようなものを感じました(!)。隊員時代にこのフェアトレードを知っていたら、村の婦人たちの活動も、もっと違ったものになっていただろうと思うと、これはやるしかないという気持ちになりました。ただ、調べていくにつれて、日本のフェアトレードが欧米のそれとは異なった仕組みになっていること、またフェアトレードの普及が一向に進んでいないこともわかり、不安も募ってきました。そんな状況でしたが、私の性格でしょうか、「やってみなければわからない。走りながら考えていこう」と、いつもの直感的発想で、どんどん準備を進め、日本に帰国してから半年後の、この7月に小さなフェアトレードの店を開けることができました。

開店して1ヶ月
わずか15平米ほどの店舗に、南西アジア、アフリカ、中南米のフェアトレード生産者たちが手仕事で作ってくれた商品が並んでいます。広告、宣伝など全くしていませんが、それでも通りがかりの方や、フェアトレードをサポートしてくださる方が訪れてくれます。開店からわずか1ヶ月ですが、2度、3度と訪れてくださる方もいらっしゃいます。また、お客さまには商品を購入していただいて、その上、クッキー、おそば、お漬物、ふりかけ、パン、店の飾り、お花、などなどいろんなものをいただいています。多くの人から支えられていることを実感しています。ありがたい限りです。地元を20年も離れており、ネットワークがないことも開業するにあたっての不安材料の1つではありましたが、この数ヶ月で多くの知人・友人ができました。また海外の生産者の方から商品を購入した後もフォローの電話やメールをもらったり、新しい環境・仕事の中でネットワークが徐々にですが、できてきているようです。同時にフェアトレードを継続していくことの難しさ・課題も見えてきましたが、周りの方のサポートに応えられるよう、地元静岡からフェアトレードの重要性、途上国の生産者の方の声を日本の消費者の皆さんに発信していけたらと思っています。

フェアトレードショップ  サモアテレコムCEO夫妻とJICA研修生OB
(筆者は後列右から2人目)

最後に、宣伝になってしまいますが、お時間のあるときにでも当店のホームページをご覧になっていただければ大変幸甚です。
http://teebom-japan.com